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シュガーロード

長崎街道 伊能忠敬の地図を配した長崎街道切手(平成9年発行)

 近年佐賀で脚光を浴びているものに長崎街道がある。江戸時代象が通り、南蛮人たちが歩いたこの街道には最近案内の石柱が立てられ、佐賀市内のあちらこちらに数多く見られるようになった。

 この長崎街道は小倉から長崎まで二十五宿、五十七里(約二百二十八キロ)。オランダ商館長が定期的に江戸幕府への参内を行ったルートとなり、西洋の文化が江戸へ伝えられたこの街道はシルクロードに匹敵するシュガーロードであった。
 徳川幕府が整備した全国五街道のうち、九州ではただひとつの脇街道で、諸大名は参勤交代にこの街道を使ったという。そしてこの二十五宿のうち十九宿が肥前にあった。シュガーロード長崎街道の影響を数多く受けたのは長崎を含んだ肥前であり、現在佐賀県となっている地域もその中の大半の十三を占めたのである。

 肥前を中心に伝来したといわれる南蛮菓子文化を考えるとき、長崎街道沿道の町々を中心とした大きな南蛮菓子文化圏があり日本国内では最も先進的な文化が芽生えていたといえるであろう。そしてこのルートの中心に位置する佐賀県は、文字どおり文化のクロスロード(十字路)として、大きな存在であったにちがいない。長崎街道の当時のありさまから南蛮菓子と佐賀のかかわりあいをひもとくことも大きな意味があると思われるのである。
 大村は長崎から数えて街道四番目の宿である。
 長崎空港の地、大村は、日本最初のキリシタン大名となった大村純忠からキリシタンの歴史が根づいている。その大村に住む里脇菊之助さん(昭和五十二年当時八十歳)のことばに南蛮菓子の原料「麦」が登場する。
 「迫害は無残やったと聞いています、じゃけど、ずっとキリシタンは続いとった。教えを守って来とるとですたい。それがド・ロ神父様、(明治年間に長崎で活躍したフランス人神父)がこらしてから隠れの時に授かった洗礼がやくせん(役に立たない)かもしれんちゅうて、みんな(洗礼を)授け直してもろうたと聞いとります。私は明治三十年の正月、生まれてすぐド・ロ神父様から授かったとです。そのド・ロ神父様が外海の地はやせとるけん、麦の出来るところへ信者を居つかせよういうて大村の土地を買いなさった。田平へ十軒、大村へ十軒、みんな麦もみをもってですな、車をひいて移ったとですたい。ド・ロ神父様は信者のために、だいぶきばらしたとよ。麦のようできるよかとこよ」

麦 鈴田照次作

 ポルトガル人宣教師たちが長崎で編さんした『日葡辞書』に「麦地」(麦が出来る土地)ということばが載っている。隠れキリシタンたちが外海の島々から長崎方面に移住したのもこの麦を求めてのことであったという。
 この半島の海を見おろす台地の上に麦畑が連なる麦地があり、それは現在まで変わらない状態で続いている。そして麦地の一角にあるのが宣教師たちと協力してつくられた長崎の町であった。

 麦を求めた宣教師たちは、麦からパンなどの食物をつくる技術を伝えた。南蛮菓子はその中でも当時の日本人にとって大きなおどろきであったにちがいない。
 京都の菓子職人たちは今でも小麦粉を“メリケン粉”と呼んでいる。「そばぼうろ」「有平糖」などの南蛮菓子を京都の菓子あるいは和菓子として現代に伝える京都の人々のことばの中には、小麦粉がはっきりと南蛮文化の象徴であるがごとく“メリケン粉”としてあらわされている。
 麦は肥沃な佐賀平野でも多く生産され、現在ビールの原料である大麦は全国一の質量を誇るといわれている。またグルテンの多く含まれた佐賀の小麦のひきの強さが独特の味わいを持っている。

春駒

 佐賀市高木町春駒の“釜あげうどん”はその代表的なもので細くすき透ってきゃしゃなうどん玉が意外としっかりとしたこしがありしかも柔らかく、喉に入っていく感触のよさは何とも言えないと好事家をうならせている。これは単に佐賀市周辺に限らず全国各地からの客にそう言わせるものであり、佐賀だけで通用するいわゆる佐賀段階の多い中で異色ともいえる。
 柚子胡椒の辛みとあいまって、このうどんの味は愛好家が離れがたい味となっている。

 小麦はこのようなうどんやそうめんをはじめとした麺類だけでなく、丸ぼうろやカステラといった佐賀で愛好される南蛮菓子に多く用いられている。
 いったい山地に近いところの小麦が南蛮菓子に適するといわれ、麺類に利用されるのは平地のものであるらしい。

新長崎街道(読売新聞西武本社編)

 最近は外国産のいわゆる外麦が多く輸入されており、製粉されて内地産の内麦とは区別がつかないとされる。しかし佐賀の伝統の南蛮菓子である丸ぼうろを正統に伝える店々ではいまだに地粉(ぢごな=ぢご)と呼ばれる佐賀の小麦粉を使い、独特の味わいを引き出す。本来洋菓子と呼ばれるはずの南蛮菓子が、輸入された小麦粉を使わず佐賀特産のものを使っているこの現象をみれば、南蛮菓子はやはり日本の風土の中で長年かかってつくりあげられた和菓子であるといえそうである。

 

 

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